Maccyaの生い立ち・ビジョン
閲覧いただきありがとうございます。
ブログ著者のMaccyaと申します。
「抹茶」味なら何でも好きでして・・・
抹茶ソフト・抹茶チョコなど。美味しいですよね~🍦🍫
なので「Maccya」という名前にしました!
そんな私の自己紹介になりますので、よければ!
この世に参上!
石川県金沢市で生まれる。
父親・母親はどちらも高卒で両親共働きの家庭でした。
とても好奇心旺盛な子どもでして、かつ「負けるのが嫌い」な性格です。保育園のかけっこでは父親と勝つための戦略を考え、1位以外許されないような環境でした。
小学校低学年の頃に「野球」を始め、それ繋がりでたくさんの友達にも恵まれましたし、幼い頃にスポーツをしていたおかげか今でも大半のスポーツは中の上くらい出来ると思ってます(笑)
小学校高学年の頃に「モンスターハンター」通称「モンハン」の3(サード)がPSPで発売され、野球の練習後は友人の家や公園で「ジンオウガ」や「アマツマガツチ」などを倒してました。他にも「メタルギアソリッドピースウォーカー」や一人用ゲームの「FF13」などもはまりましたね。
ただ、なぜか私の家で遊ぶのを両親は嫌がっていまして、遊ぶときは必ず私以外の家で遊んでましたね。
勉学に目覚めた中学時代
みなさんは中学の最初のテストの点数を覚えていますか?
私はショックすぎて鮮明に覚えています。
小学校の時の「テスト」と中学校からの「テスト」って全く別物。
初めての中学のテストで、私は平均27点でした。(苦笑)
「やばい!」と思った私は、生まれて初めて「勉強」というものをしました。
結果的に高校は学力推薦で行けるほど優秀?になり、
勉強に、
部活に(この時も野球部でした)、
運動会に(応援団でした)、
文化祭に(パン屋の親父役でした)、
恋愛に(好きな子ばかりに目がいってました)
勤しんだ中学校時代でした。
いじめに会い野球を離れ、神経質すぎる高校時代
学力推薦とはいえ野球は続けたいと思い、高校でも「野球部」に所属しました。
そこで衝撃を受けたのですが、私以外全員「部活動推薦」で入学してきたスポーツのエリートだったのです。

なんというか、今まで「楽しく」野球をしてきた私からすると別世界でした。

色々ありまして、高校の4月にいじめにあい、5月には退部するという電光石火みたいな早さの高校球児でした。(笑)
(詳しくお聞きしたい場合はメールやコメントにてお問合せください。全部答えますよ!)
5月で野球部を辞めた代償は思いのほか大きく、
校舎で野球部の先輩(顧問など)とすれ違うと気まずい。
新しい部活に今から入るのはちょっと・・・

など、まぁ中学校とは気持ちが全く違い「学校に行きたくなかった」ですね。
小学校から野球をしており、中学では野球と勉強を両立してきました。
結果的に私に残ったのは、「勉強がんばろ」の気持ちでした。
それ以降ひたすら「勉強」をし、ガリガリ勉くんな高校生活を送りました。
部活動は活動しているのかわからない「パソコン部」に入り、テキトーに過ごしてました。
野球部の件があったことから「高校怖い」というイメージがついてしまったのか。すべての言動に敏感に反応するようになりました。

勉強だけは頑張っていたため、またもや学力推薦で進学することを決意しました。
(より詳細を知りたい方はメールやコメントで!)
「本当の自分」が出てきた大学時代と採用試験
高校では不登校になりませんでした。学校に行かないことは=負けだと思っていたため、無理やりにでも学校には行っていました。

大学で初めて一人暮らしをし、親の管理下から離れたところ。私は「本当の私」に気づくことが出来たんです。
それは
「私は目立ちたがり屋」だということです。
とにかく楽しく生きたい。自分は楽しい環境で過ごしたい。
そう思うようになり、自分でサークルを立ち上げたり、夜遅くまでとりあえず駅前をブラブラしたり、ナンパしたりと。恥ずかしさを捨てました。

そのように遊び呆けている中、「目立つ職業」ってなんだろう?と考えました。そして、安定職でもある「教員」になろうと考えたんです。
「教員」になろうと考えてから、教員採用試験について調べました。
基礎学力、専門教科、面接、模擬授業など、試験科目は様々ですがそこそこの難易度だなと感じました。
実は高校時代にも「教員」という職に興味があり、担任の先生にこんな質問をしたことがあります。
「何回で教採合格されたんですか?」
すると担任の先生は答えてくださいました。
「5回目だよ」と。
やっぱり、教員になるのは難しいなぁと考えていたんですね。それを大学生になって目指すことになるとは。
悩んだ挙句「教員」に進路を絞ることにしました。
さて、大学3年の夏、教採試験は来年の8月に行われます。
「勉強するぞ!」
高校時代は勉強めちゃくちゃしてましたからね。
しかし、習慣とは恐ろしいものです。
大学1・2年を遊び呆けていた私にとって「勉強する」ということが苦痛以外のなにものでもありませんでした。

結果的に僕の中でこう結論づけました。
「大学4年という期間は人生でおそらく1回きり、1年目は講師として学校で働いて、学校の仕事を経験しながら勉強しよう」
と無理やり勉強しない理由を作ったんですね。
はい。大学3年から教採試験までの数か月「ノー勉」でした(笑)
迎えた8月の教採試験。基礎テストや模擬授業、面接を経て、結果。
合格しました。
「は?え?ほ?」
ここまでMaccyaの自己紹介文を読んでいただけ方も同じ反応でしょうか?
そうなんです。合格したんですよ。
「ほんとは勉強した」「地頭がいい」
そんなことはありません。ただ、1個だけ工夫したことがありました。

1個だけ工夫したこと。それは。
「教員の気持ちになるために、365日スーツで過ごした。」
です。
ここからは勘ですが、なぜ合格したのか。を自分なりに解釈してみますと。
例えばですが、
作業着を着ている方はどんなイメージを持ちますか?
平日私服でいる人はどんな方をイメージを持ちますか?
試験はスーツで臨みますよね。
最初は、日曜日にスーツを着ている自分が変だなと感じましたし、太もももぱっつぱつで着心地なんて最悪でした。
しかし、続けているうちに段々と慣れてくるんですね。
はっと鏡を見てみると、「スーツに着られている自分」から」「スーツを着ている自分」に変化しているのがわかりました。
おそらく模擬授業として教壇に立つ私を見て、「教員として働く背景」が試験管に見えていたのではないでしょうか。

長年目指した、そして安定職である教員を1年で・・・
教員として生徒を自立へと導く。それが私の理想教育です。
そのために教員として出来ることは「勉強に適した環境を提供すること」
授業に工夫を施したり、課の仕事として全力でサポートしたりと、教員の仕事を全うしてきました。
ただ、「思わぬ縁」があり、教員を1年で辞める決断をしました。
(詳細を知りたい方は・・・以下同文)
まぁこちらが私の経歴です。「今何をしているの?」と聞かれれば「会社員」しております。
ここで終わってしまうと単なる自慢話になりそうなので、最後に。
「教員を辞める」という決断は生半可なものではありませんでした。
ご縁があり、教採に合格し、安定な職であり、人間の成長に触れ合える素晴らしい仕事です。
しかし、教員の職につきながら思ったことがありました。
私の「夢」ってなんだろう。と。
大学時代の夢 → 「教員になる」
教員になった私の夢は → 「?」
「夢が叶ったからいいじゃないか!そこにいろよ!」
「現実を見ろよ!」
など、不快に思われる方もおられるかもしれません。
すいません。本当にその通りだと思います。
「ダメです」や「なぜだ?」など、私の家族や友人も止めてくれました。
ただ、それ以上に次の「夢」が見つかり、その切符も掴むことが出来ました。一度きりの人生。周りの意見も大事ですが、最後に決めるのは自分です。そう思い、「教員を辞める」決断をしました。
今の私が目指すもの
今の私の夢は複数あります。
その中の一つ「俳優として主演ドラマを演じる」
笑われてもいい、だが、自分に嘘はつきたくない。その気持ちでいっぱいです。
ここまで生きてきて、そして、自己紹介文を書いていて思ったことが一つあります。
それは「教採に1発で合格していなかったら今の私は無いだろう」ということです。そのきっかけとなったのは「365日スーツ生活」です。
勉強は大切だ。という言葉はよく聞くと思います。もちろんその通りだと思います。
しかし、それ以前に「勉強をする環境」が良いか悪いかが大事です。
事実、「365日スーツを着る」という環境が合格を生み出しました。
勉強が嫌いな人も「勉強は大事だ」ということはご存じのはず。
今一度「勉強の環境」を整えてみてはいかがでしょうか。
机を掃除する。
筆箱のペンを一新する。
字をきれいに書くよう心掛ける。
外部の教育機関を利用する。
自身の「夢」を叶えるには「良い環境」が土台として必要です。
『今、眠るものは夢を見る。今、勉強するものは夢を叶える。』です!
ここまで私Maccyaの自己紹介文を読んでいただきありがとうございました。
感想や共通点がございましたら是非お寄せください!質問なども大歓迎です!